2024/02/20 19:00
バスタイムは私たち日本人の文化的習慣。
エチケットとして、
あるいは心身の疲れを癒すために
この時間を1日のどこかに取り入れます。
(多くの方が、夜に行うでしょう。)
しかし時として、バスタイムを
とても億劫に感じることもあるでしょう。
極度に疲れていたり、眠かったり、
そもそも何に対しても無気力な時。
あなたにとって至福の時間が、いつの間にか
「義務」になり変わっていることもあるでしょう。
たしかに、入浴が快楽以前に義務となる場合もあります。
神聖な時間にそなえる「禊」もそのひとつです。
目に見える汚れを落とすだけではなく、
魂にくっついてしまった「よごれ」をきれいにすること。
面白いことに、このよごれはあなたにしか見えません。
つまり、これをきれいにするには
あなたが自発的に行うしかないのです。
私たちは物事を判断するとき、善悪よりも
「きれいか、きたないか」を自然に感じとります。
この穏やかで神秘的な感受性を育てるためにも
入浴はとても役に立ちます。
禊(=身削ぎ)によって魂を洗うことで
蛇が脱皮し新たな身体に生まれ変わるように
私たちも新たに生まれることができるのです。
それはどんな娯楽にも勝る、最高の快楽。
さらに喜ばしいことに、これは
たった一度きりの特典ではありません。
己を知り、他者を知り、
疲れ、落ち込み、それでも
魂の美しさを追求する度に、
私たちはまた生まれるのです。
たった一度きりの人生に、何度でも。